親鸞の主著『教行信証』。
私は数年前『教行信証』を読もうとしたが、その時は準備が足りないと痛感し、まずは源信『往生要集』、法然『選択本願念仏集』を読んだ。親鸞に繋がる浄土教思想発達の重要な2冊を読んで準備はできたと思い、このたび『教行信証』を開いた。
【参考】『往生要集』の読書メモ
https://www.shokeishuyu.com/2024/10/blog-post_11.html
【参考】『選択本願念仏集』の読書メモ
https://www.shokeishuyu.com/2025/02/blog-post_24.html
しかしながら最初に告白しておくと、私は『教行信証』を5%くらいしか理解できなかった。『往生要集』や『選択本願念仏集』は意外とわかりやすい。特に源信の筆は極めて論理的だ。彼の文章にはまず主張があり、その根拠となる経典論書が引用され、次にそれに対する予想される反論、それへの反駁と続いて、必要に応じて源信自身の疑問や私見が整然と述べられる。さらに源信自身よくわからないということについては正直にそう書いてある。耳慣れない専門用語は大量に使われているが、論理の流れは極めて平明である。法然の場合も、主張、私釈(自身の解釈)、問答などは源信に倣った構成である。
しかし『教行信証』はそうではない。経典論書の引用ばかりが延々と続く箇所があり、親鸞がそれらの引用で何がいいたいのかわからなくなる。かと思うと畳みかけるように親鸞の主張が述べられたりする。そもそも『教行信証』の本当の書名は『顕浄土真実教行証文類』であって、「文類」とは経典や書物の文章を集めたものであるから引用が多いのは当然であるが、『往生要集』や『選択本願念仏集』のような整然とした引用ではなく、いわば研究ノート的な長大な引用が行われ、そこから一種の飛躍によって親鸞の思想が開陳されるという構造になっている。
しかも、親鸞の思想そのものも源信や法然とは異質である。源信や法然は、「どうすれば往生できるのか(浄土へ往けるのか)」ということについて考究した。大雑把に言えば、源信は「観想念仏を行うことが必要だが大事なのは信じる心」、法然は「称名念仏は下根の人だけでなく全ての人に有効であり、念仏以外の行は捨てるべき」といったことが主要な主張だ。彼らは主に念仏の方法論について考究したのである。しかし親鸞は彼らの考えを下敷きにしつつも、「往生するとはそもそも何なのか」「なぜ人は往生できるのか」「往生したら人はどうなるのか」といったことについて考えた。つまり親鸞の思想は多分に思弁神学=スコラ哲学的なのである。こうした考察は、大陸における浄土教の先駆者善導などにも窺え、法然もその思想を受容していた。しかし法然の段階ではそうした形而上学的な疑問よりも、往生の方法論(念仏は有効なのかどうか)がずっと重要であったためそれほど議論されていない。ところが親鸞の頃になると念仏の有効性が確立した(と親鸞は思っていた)ためか、それを支える形而上学的思惟にまで手が届くようになったということなのかもしれない。少なくとも本書からは、形而上学的な思惟を好む人物としての親鸞を強く感じた。
『教行信証』は次の6部構成になっている。
(1)顕浄土真実教文類
(2)顕浄土真実行文類
(3)顕浄土真実信文類
(4)顕浄土真実証文類
(5)顕浄土真仏土文類
(6)顕浄土方便化身土文類(本・末の2部構成)
これらはそれぞれ「教巻」「行巻」「信巻」「証巻」「真仏土巻」「化身土巻」と呼ばれている。なお、書名が『顕浄土真実教行証文類』で「信」を欠いているのは成立の事情が影響しているらしい。
まずこの構成を見て思ったことは親鸞は「真実」にこだわりが強いということである。これは、当時真実でない教えがはびこっていた、ということではなくて、権実(ごんじつ=仮と真)の枠組みの話である。仏教には相互に矛盾するような内容の経典が多い。例えばA経では「誰でも成仏できる」といい、B経では「成仏は難中の難である」といったような具合である。仏教では経典を釈迦の説いた教えとしているが、このように矛盾する主張をどう考えたか。仏教思想家たちは、釈迦の教えは目の前にいる人の理解力(機根)や状況に応じたものだったと考え、多くの教えを「方便」だとした。先の例では、「本当は成仏は難しいが、そうすると多くの人は修行しないので、誰でも成仏できるという教えを方便として説いたのだ」と整理するのである。実際にはもう少し複雑だが(=教相判釈の枠組みも必要)大雑把にいえばこういうことだ。
そして、顕密仏教では念仏を方便と見なしていた。親鸞が生きていた頃の顕密仏教では往生には莫大な作善が必要だと考えられ、また往生は難しいこととされていた。しかしそれでは多くの人が浄土を希求することはない。だから釈迦は方便として念仏の教えを説いたのだと考えたのである。これは自然な解釈である。ところが親鸞はこの見方に真っ向から反対した。親鸞は「釈迦在世中はそうであったかもしれないが、現在は末法の世であり念仏以外の仏法はもはや有効ではなく、むしろ末法では念仏こそ真実の教えなのだ」と考えた。そのうえ念仏の教えにも真と仮があると考え、阿弥陀四十八願のうち第18願を真実と見なした。親鸞は念仏の教えの内部にも権実の腑分けを行ったのである。
(1)教巻
教巻は非常に短い(3ページ)。「教え」については、親鸞に主張すべきことはあまりなかったということなのだろうか。世間一般に流布されていた教えは親鸞から見ても正しいものだったということなのかもしれない。なお、冒頭に「二種の廻向あり。一つには往相、二つには還相なり(p.15)」とあるのは著名であるが、親鸞は最初から「還相(げんそう)」つまり往生したものが現世へ還ってきて人々を導くという考えを提示しており、これは『教行信証』全体を通じたテーマとなっている。
(2)行巻
当時、念仏は行(修行)ではないという風潮があったのだろうか。親鸞は「世間の人は~と言っているが本当は…」のような言い方をあまりしない。本巻でもどういう点が当時の社会常識であり、またどの点が親鸞の思想に基づくのかよくわからないのだが、論理展開を見る限り親鸞は「念仏は行であるに他ならない」ことを強く主張している。
ところで私は一部しか読んでいないが、明恵の『摧邪輪』は『教行信証』の成立の有力な契機の一つとされる。明恵は法然没後に『選択本願念仏集』を読み、それを『摧邪輪』で邪説として退けた。ここでの法然批判の中心は「念仏の教えには菩提心(さとりを求める心)がない」ということである。そもそも往生したいというのは、浄土という安楽な世界へ行って永遠の楽しみをむさぼりたいという自利の心である。そこには悟りを得たいという気持ちも、人々に功徳を廻向したいという利他の心もない。様々な仏教的実践の一つとして念仏があるならばよいが、念仏だけすればよいという専修念仏の場合はそうした大乗仏教的実践が何一つないことになる、というのが明恵の批判だったようである。これに対し、親鸞は反論してはおらず、そもそも『摧邪輪』の引用もない。しかし行巻には明恵に応えているようなところがある。
親鸞の主張は、「念仏による往生は、自らが安楽な世界に行きたいということではなく、往生することで悟りを得ることが究極の目的であるのだから、念仏は大乗仏教的な行に他ならない」ということである。もちろんこれは親鸞の独創ではなく、すでに中国浄土教の道綽『安楽集』に「もし人、菩提心の中に念仏三昧を行すれば、一切の煩悩、一切の諸障、ことごとくみな断滅す(p.36)」とある。また往生すればさとりを開けるという考えは源信・法然も持っていた。しかし彼らの場合、往生して阿弥陀仏に近侍することで次第にさとるという考えだったのが、親鸞では念仏をしたその時に正定聚(さとりを得ることが決まっている地位)につき、往生すると即時にさとりを得る(往生即成仏)と考えた。つまり往生と成仏に即応の関係を見、往生を願うこと=さとりを願うことである、と整理したのである。
さらには、往生を願うことそのものが、浄土へ往きたいという自らの意思によるものではなく、阿弥陀仏が人々を救うために名号(称名念仏)を選んだことによる帰結(回向)によるものであるとし、それ自体が仏の行であると考えた。「これ凡聖自力の行にあらず。(中略)みな同じく斉しく選択の大宝海に帰して念仏成仏すべし(p.53)」と親鸞はいう。この「念仏成仏」は善導の言葉で、普通は念仏は往生のためと思っているが、むしろ仏によって導かれ成仏する(さとりを得る)、というのが真宗なのである。
そして本章の最後には、阿弥陀の誓願(四十八願)についても、「真実の行信あり、また方便の行信あり(p.64)」として権実の枠組みがあることを簡単に触れている。ここでは真実の行の願を「諸仏称名の願=第17願」、真実の信の願を「至心信楽の願=第18願」であるとしており、それ以外を方便と仄めかしている。
さらに本章の末尾には「正信念仏偈」が置かれている。「正信偈」は、真宗では聖典として読誦されるものであるが、私はずっと「正信偈」は『教行信証』の内容を要約したものだと思っていた。ところが思った以上に「正信偈」は唐突に『教行信証』に挿入されており、内容的にも行巻との関連は薄い。「正信偈」では、まず阿弥陀如来に帰依することの素晴らしさを述べた後、七高僧(龍樹、天親、曇鸞、道綽、善導、源信、法然)と呼ばれる中国浄土教からの系譜が讃嘆されるが、特に七高僧については行巻ではまとまった記述はない。どうして「正信偈」を行巻に挿入したのか、親鸞の意図はよくわからない。
(3)信巻
信巻の冒頭には特別に「序」が置かれている。これは信巻が独立して執筆され、後に『教行信証』に編入されたことを示唆しているのかもしれない。そうでなくても信巻には特別な位置づけがあるようである。
この「序」の冒頭、親鸞は「信楽(しんぎょう)を獲得することは如来選択の願心より発起す(p.71)」という。「信じよろこぶという境地に達することは、仏のはからいである」というのである。それなのに「末代の道俗、近世の宗師、自性唯心に沈みて浄土の真証を貶す、定散の自心に迷ふて金剛の真信に昏し(同)」と嘆いている。「定散」とは、浄土を観ずる「定善」と日常的な善行である「散善」を意味する。どちらも、浄土教において行うべき善行とされていたが、親鸞はこれを「自心」すなわち「自らの意思で行うもの」と軽んじ、阿弥陀仏の計らい(他力)である「金剛の真信」こそ重要だとする。しかし法然は『選択本願念仏集』で定散両門の意義を消極的ながらも認め、それによる往生を否定はしていない。ところが親鸞はこれを一歩進め、定散両門は「迷い」であるとしている。一般的には、自らの意思で行う善行の方がよいに決まっているが、親鸞はこれを顚倒させ、仏のはからいに任せる方が尊く、むしろ自らの意思などは低次元のものだとしている。
本文に入ると、特に信巻は難解に感じる。議論の要諦が私には見えてこない。そしてこのあたりから、親鸞独自の訓読が頻出するようになる。よく知られる通り、親鸞は経典論書の引用にあたり、無理としかいいようがない訓読を行った。原典の意味を自らの主張に引き寄せて引用したのであり、ある意味では改変に近い行為である。どのような引き寄せを行ったのかというと、大雑把に言えば「〜すべき」という文を「仏が我々に〜させている」とか「仏が〜した」と読み替えた。
ところで「信」の問題は、源信以降大きくクローズアップされている。源信は「行」とともに「信」が重要だと考え、『往生要集』では心の在り方が往生には重要であると(特に後半になるほど)力説している。『観無量寿経』でも、往生には①至誠心(しじょうしん)、②深心、③廻向発願心の3つを備えなければならないとされ、法然は『選択本願念仏集』で特に②を「深信の心」であるとし、「疑ひなく」「一心にただ仏語を信じ」ることが重要だと強調した。また③廻向発願心については、善根を積み重ね、それを「皆真実の深信の心の中に廻向して」往生を願うことだといい、有名な「二河白道の譬え」でも、周囲の人々の「そんな危険な道をゆくのはやめろ」という声に惑わされず進む(信じる)ことが重要だとしている。
しかし親鸞はこういった「信」の在り方を根底からひっくり返す。親鸞はこれまでの「信」をめぐる議論を表立っては否定せず(というより、親鸞は法然の教えを忠実に継承していると自認していた)、これまでの論説を確認するように引用している。「二河白道の譬え」は引用でなく親鸞独自の説明で述べ、法然の譬えをじっくり確認している。しかし、先述のとおりこのあたりでは引用の訓読が微妙に改変され、徐々に論述が親鸞の思想へカーブしていくような感覚がある。源信・法然の段階では、「行」はもちろん大事だがそれに「信」が伴うことが必要、という感じだったのが、親鸞は「信」のみに価値を置く。例えば「涅槃の真因はただ信心を以てす(p.84)」という。ただし親鸞の認識は「信」も「行」も阿弥陀仏から与えられたもので渾然一体ということのようである(このあたりがハッキリとは読み取れなかった)。そして一般的にいう「行」は「雑毒(p.88)」などと斥けられ、むしろ浄土には障りとなると言っている。
そして議論は「信」から「心」に移り、至誠心について「この心則ちこれ不可思議不可称不可説一切大智願海、回向利益他の真実心なり。これを至心と名づく(p.87)」という。この心は、私たちの心ではなく、阿弥陀仏の心なのである。我々凡夫の心についての議論がいつのまにか阿弥陀仏の心の話になっている。ちなみに親鸞は「欲生心成就(第18願の文)」を「至心廻向してかの国に生まれむと願ずれば…」ではなく、「至心廻向したまへり。かの国に生まれむと願ずれば…」と読み替える。元の文では「心を至す」のは衆生だが、親鸞では「心を至す」のは如来である。親鸞の場合、常に主体性は仏の方にある。
さらに親鸞は「回向利益他の真実心」について涅槃経を引用し、「(前略)真実と言ふは即ちこれ如来なり、如来は即ちこれ真実なり。真実は即ちこれ虚空なり、虚空は即ちこれ真実なり。真実は即ちこれ仏性なり、仏性は即ちこれ真実なり(p.87)」という。これは引用であるが、このトートロジー的な言説は親鸞らしい部分である。なお親鸞は、源信や法然のように理路整然と論述するのではなく、いわば同じところをぐるぐる回るように論述し、しかもいつも同じような場所にいきつくような感覚がある。その行き着くところの一つが涅槃経であるようだ。ここで「虚空」が入っているところも注目される。親鸞ならずとも当時の仏教思想の根本には「空」の思想がある。「信」にしろ「心」にしろ、あるいは浄土にしろ、究極は「空」であり「無為」であるということは本書全体に仄めかされている。
それはともかく、「至心・信楽・欲生、その言(ことば)、異なりといへども、その意(こころ)これ一つなり。(中略)真実の一心なり。これを金剛の真心と名づく(p.94)」と述べ、急に「真実の信心は、必ず名号を具す」という。なぜ名号が伴うのか、別の箇所には名号の重要性が述べられるが、ここでは何の説明もない。法然は「名号は易行なるがゆえに庶民でも実践可能だから、如来はこれを選び取った(選択した)」と考え、その考えを親鸞も継承していたから説明が省略されているとも考えられるが、親鸞における名号の意味は法然とは大きく違っている。くり返しになるが、それは凡夫が自力で行う精一杯の行なのではなく、如来によって廻向された結果なのだ。
このように議論が中途半端になっているように見えるが、さらに話題は菩提心についてに移る。菩提心には「竪」と「横」があり、またそれぞれ「 竪超(じゅちょう)・竪出」、「横超(おうちょう)・横出」があるという。細かい議論は省くが、「竪」は顕密仏教による自力の菩提心で、「横出」とは定散両門など念仏の中でも自力の菩提心、そして「横超」が「これ乃ち願力廻向の信楽、これ願作仏心といふ。願作仏心即ちこれ横の大菩提心なり。これを横超の金剛心と名づくるなり(p.95)」という。かみ砕いて言えば、「横超」は阿弥陀仏の廻向によって与えられたもので、それは「仏になるべく願う心」に他ならないから大菩提心なのだ、と親鸞は言う。しかしその論拠はちりばめられた引用からはいまいち明らかでない。しかし親鸞はこのあたりでは緻密に論証するのではなく、「十念」とは何か、「一念」とは何か、など補助的な議論を立て続けにしている。
結局、親鸞のいう「心」とは何なのかが問題だ。善導は観経疏で「この心作仏す。この心これ仏なり、この心の外に異仏ましまさず(p.100)」と述べるが、親鸞はこの言説を引用しながらも、その「心」を巡る言説は堂々巡りをしているような気がする。そして究極のところでは「ただこれ不可思議不可説不可称の信楽なり(p.95)」のように、「人智を超えたものだから議論はできない」と言っている。ただ、源信や法然に比べて、親鸞が「心」について考えに考え抜いていることだけは確かだ。ともかく「念仏の衆生は横超の金剛新を窮むるが故に、臨終の一念の夕べ、大般涅槃を超証す(p.107)」るのである。ちなみに源信は『往生要集』で「臨終の一念は百年の業に勝る」とし、臨終の作法を事細かに述べたが、親鸞は臨終についてはほとんど重視していない。念仏者の往生は臨終を待たずともすでに決まっていて、臨終はそれを「超証」するだけである。
こうした議論の後、親鸞は涅槃経の長大な引用を行う。阿闍世(あじゃせ)王の物語である。この物語の引用は、信巻全体の3分の1にも及ぶ。阿闍世王は、無実の父を殺したことで後悔に苦しみ、ひどい瘡(かさ)が出来てしまう。その苦しみに耐えかねる様子を見て、いろいろな人が訪れて阿闍世王に語りかける。最初は大臣、その次に家臣が次々と訪れる。彼らは、阿闍世王を責めるのではなく、「そんなことを気にする必要はない」と言う。さらに耆婆(ぎば)という当時のインドの名医も登場するが、彼は「悔悟の念を抱いているとは素晴らしい。あなたは教えられずして阿耨多羅三藐三菩提(さとりの心)を得ている」などという。さらには釈迦が登場し、そもそも全ては空であり実体はないのだから、殺人もまた非有であるなどといい、阿闍世は救われる。
この物語が挿入されたのは、悪人は救われるのかどうか、という問題への補助線なのだろう。しかしながらこの物語では、阿闍世王は確かに父を殺したが、彼は大変に後悔しており、その点を多くの人が認め、「そこまで苦しむのならもうあなたの罪は償われた」というような言い方をする。つまり阿闍世は完全な悪人とはいえない。だからこそ救われた。一方親鸞はこの物語を受け、「難化の三機、難治の三病(=五逆・謗法・闡提)は、大悲の弘誓を憑み、利他の信海に帰すれば、これを矜哀(こうあい)して治す(p.129)」という。阿闍世王の物語は、罪を犯しても懺悔・悔恨が重要だというメッセージだと思うが、親鸞は「阿弥陀仏にすがれば救われる」と繋げる。この繋がりがどうもしっくりこない。確かに阿闍世王は仏によって救われた。だが彼の中に救済が内在していたという感じが強いのである。
また、『大無量寿経』には、往生の対象として「唯除五逆誹謗正法(ただし五逆と誹謗正法を除く)」とあり、五逆や謗法は救済の対象から除かれている。しかし親鸞は経典を引きつつ、五逆(父殺し・母殺しなどの殺人罪等)は往生できると述べる一方で、誹謗正法は重罪であり往生は不可能だとする。かと思えば、「ただ如来それこの二つの過(とが)を造らむを恐れて、方便して止めて往生を得ずと言(のたま)へり。またこれに摂せざるにはあらざるなり(p.134)」といい、五逆・謗法を除くのは方便だという。親鸞は、五逆・謗法も救われてしかるべきだと考えているが、経典論書の引用では答えが出ていないようだ。一般的には五逆・謗法など往生できなくても仕方がないと考えられていたはずだが(なにしろ、普通の人にとっても往生は不確かだったのだから)、親鸞はここで全ての人を包摂しようと格闘しているように見える。
(4)証巻
冒頭、親鸞は真実の「証」について「これ利他円満の妙位、無上涅槃の極果なり(p.139)」という。これはすでに語られてきたとおり、浄土に至るということが「無上涅槃」すなわちさとりそのものであるという宣言である。そしてさとりを得た往生人は、還相回向して人々を救うのである。
ここで興味深いのは、還相回向とは一体どのような存在として人々の前に現れるのかということだ。我々は往生人を仏に準じる存在としてイメージしているが、親鸞の還相回向はそういうものではないらしい。親鸞は「もし人、ひとたび安楽浄土に生ずれば、後の時に三界に生まれて衆生を教化せむと願じて、浄土の命を捨てて願に随ふて生を得て、三界雑生の火の中に生まるといへども、無上菩提の種子、畢竟じて朽ちず(p.141)」という。つまり、還相回向といっても、仏のようになった往生人が蓮台に載って救いにやってくる、というより、浄土の命を捨て現世へ生まれ変わって、また人生をやり直すというイメージが近い。しかしそれでも無上菩提(さとり)の種は失われていない、という。この親鸞の考えは経典論書に基づかないもののようだが、極めて興味深い。
親鸞は形而上学的思考を好んでいるが、怪力乱心を語らない。超自然現象などを信じないのである。親鸞はあくまで現世的・即物的に見える。還相回向といっても、それは生まれ変わりという即物的現象に依拠している。こういった、ある意味では科学的な発想をした人は親鸞以前にはいなかったのではないだろうか。例えば曇鸞は『往生論註』で「還相とは(中略)生死の稠林に回入して、一切衆生を教化して、共に仏道に向かへしむるなり(p.143)」というが、具体的なイメージが不明だ。
親鸞は、往生したらどうなるのか、というイメージを追求していく。当時の人は往生すればきらびやかな世界にゆくと思っていた。現代でも「浄土に行けばその人にとって一番よかった時代の姿になれる」などという俗説がある。確かに死ぬ間際の弱った姿で浄土へ行ってもあまり楽しそうでない。ところがこういう安易なイメージを親鸞は採用しない。僧肇の「法身は像(かたち)なくして形を殊にす(p.148)」を引用し、「法身の世界」について考察する。その議論を約すれば、法身(さとりの身)は具体的な姿を持たない究極の真実だ、ということだ。であるから現世で法身を認識することは不可能で、あくまでも応身(仏が人々と救うためにその資質や能力に応じて現れた姿)しか認識はできない。往生人、すなわち無上菩提を得た人も同じで、この真実の世界に赴くために具体的な形象を持たないということになる。これを親鸞は「清浄法身(p.151)」といっている。
しかしながら、具体的な形象を持たないというと、全く人間のイメージから隔絶しているし、では我々が拝んでいる阿弥陀仏とか薬師如来とかいう仏像の意味は何なのだということになる。ここで親鸞は「諸仏菩薩に二種の法身あり。一つには法性法身、二つには方便法身なり。(中略)この二の法身は異にして分かつべからず(p.149)」という。つまり仏像の姿は「方便法身」であって、これも法身であるが、方便として姿を現したのだという。こういう理念操作が親鸞の面白いところである。
ここでは方便と真実が一体であるとしているものの、親鸞が真実をより重要視しているのは言うまでもない。浄土の有様もこれと全く同じである。道俗の人は浄土を安楽な世界だと思っているが、実はそうではないという。それどころか「ただかの国土の受楽無間なるを聞きて、楽のための故に生まれむと願ずるは、またまさに往生を得ざるべきなり(p.152)」と親鸞はいう。そもそも往生を願うことは如来の廻向、全くの他力によるのではなかったのか、と言いたくなるが、浄土の安楽に惹かれて往生を願うのではダメだと親鸞はにべもない。むしろ「自身住持の楽を求めず、一切衆生の苦を抜かんと欲すが故に(同)」往生を願わなくてはならない。何か先の議論と違う感じがする。そして親鸞は「かの仏国は即ちこれ畢竟成仏の道路、無上の方便なり(p.152)」と、浄土を「方便」と言い切る。
人々がイメージする、きらびやかな宝に満ちた安楽世界としての浄土は「方便」なのだ。真実の浄土は、一切の形象を持たない真実・真如・無為の世界である。後に親鸞は『正像末和讃』で「自力称名のひとはみな 如来の本願信ぜねば うたがうつみのふかきゆえ 七宝の獄にぞいましむる」と詠んでいる。「七宝の獄」とは、七宝(七種類の宝)が満ちた牢獄なのであるが(後出)、そこは一般的には極楽とイメージする場所であろう。しかし親鸞にとっては、そこは人々が表面的な安楽を楽しむだけの低次元の場所であり、本当の救済ではないと考えている。
最後に曇鸞の『往生論註』を引用し、「五種の門(五果門)」が解説される。この五門とは、元来は自利と利他の因行によりさとりを得ることを5つの漸次的段階で述べたものだが、これを親鸞は他力によって往生した者の段階的な証しとして読み替えているようだ。この5つの詳細は割愛するが、最後の五門が「薗林遊戯地門(おんりんゆげちもん)」というもので、「応化身を示して、生死の薗、煩悩の林の中に回入して、神通に遊戯し、教化地に至る(p.157)」という還相回向の相である。このように、往生することは大涅槃へ至ることであり、そしてより高次には人々を救うという利他行に他ならないというのが親鸞の考えなのである。
(5)真仏土巻
真仏土巻では、先の証巻で簡単に触れた真実の浄土の様子が説明される。なお真仏土巻に入ると急に読みやすくなる。
冒頭、真仏土は「光の世界である」ことがこれでもかと縷述され、仏説諸仏阿弥陀三那三仏薩楼仏壇過度人道経(←耳慣れない経典)を引用し「阿弥陀仏の光明は殊好なること、日月の明よりも勝れたること、百千億万倍なり(p.163)」という。ここは少し引っかかる。光のような形象については、「方便法身」ではないのかと思うのだ。それよりも「真の浄土は無である」と言われた方が先ほどの議論と整合して理解できる。そしてこの光明には人々を導く力があるのだという。続いて(同経の引用の続きで)「世間諸有の婬泆・瞋怒・愚痴のもの、阿弥陀仏の光明を見たてまつりて、善をなさざるはなきなり(p.164)」などという。これは引用とは言え、信巻や証巻での言説と全く違って面食らう。親鸞は阿弥陀仏の光明で善をなす、などという言説をいかにも拒否するように思うのだ。人々が善をなすのは阿弥陀仏の廻向なのだと親鸞ならいいそうだ。「光明」と「廻向」という表面的な違いであるが、この違いは大きい。ここでは思弁的思惟は影を潜め、なんだか俗説を真に受けている感じさえする。私の実感としては、真仏土巻は親鸞が最初に書いたもののような気がする。それで読みやすいのかもしれない。
このように始まったところで、また涅槃経(北本涅槃経)のそれなりの分量の引用がある。涅槃経は親鸞にとって非常に大事なもののようである。この引用の中で「涅槃の性は無苦無楽なり(p.167)」とか「涅槃の性、これ大寂静なり(同)」とかいい、やはり涅槃(さとり)の世界が無為であるという主張がなされる。「親鸞が戻ってきた」という感じがする。また涅槃経の引用に「衆生の根性に決定(けつじょう)あることなし(p.170)」という。これは、衆生には確たる性質(根性)がないから、さとりを得られるかどうか定まっていないという意味である。当たり前のことのようであるが、こういう人間観は親鸞の基盤にあると思われる。だからこそ阿弥陀仏の計らい・廻向が重要になってくるのである。この涅槃経引用部分によって、冒頭の俗説的な雰囲気が改められる。
しかし、その後は教・行・信・証巻の論旨を繰り返すような記述が続く。もし真仏土巻を最初に執筆したとすれば、ここは親鸞の思想の萌芽的な部分なのかもしれない。これに続く部分では、またしても阿弥陀仏が光明の仏であることが繰り返される。曇鸞『讃阿弥陀仏偈』では「法身の光輪、法界に遍じて、世の盲冥を照らす(p.178)」という。これは先ほどの仏説諸仏阿弥陀三那三仏薩楼仏壇過度人道経と似てはいるが、阿弥陀仏の光がすでに世界に満ちている、としている点で思弁的であり親鸞的である。同偈は続いて「無対光」とか「歓喜光」「無称光」などといって阿弥陀仏の光を讃嘆し、「光によりて成仏したまふ(p.197)」という。これは先ほどの「阿弥陀仏の光明で善をなす」と似たような言説であるが、その光が世界に満ちているという前提ならば証巻までの思想と接続できる。
続いて、善導の『観経疏』に基づき、阿弥陀の浄土が「報」なのか「化」なのかと問題提起する。「報」とは「報土」の略で、「報土」とは「報身」のいる場所である。「報身」は「法身」と似ているが、願を立ててそれが成就したことで仏となった身、という意味である。しかしながらここでいう「報土」「報身」とは、真実の世界であることを企図しており、「化」すなわち「化身」「化土」とは方便の世界であると理解できる。さらに親鸞は「有仏無仏、諸法の性つねに空なり。性空なる、即ちこれ涅槃なり(p.182)」と述べて、こうした議論を「空」と接続する。その後、この浄土が「報法高妙にして小聖かなひ難し(p.182)」という。「報身・報土は非常に高く妙なるものなので、初地の位に至らない菩薩のような小聖は入ることができない」というのである。にもかかわらず凡夫がなぜ入れるのか。それを親鸞は「仏願に託するに由りて(同)」入れるのだといっている。
さらに善導の『法事讃』により「極楽は無為涅槃の界なり(p.183)」と引用し、浄土に至ることでさとりを得るという議論が再び続く、その後「無量光仏、無辺光仏、無碍光仏、…」と阿弥陀仏の「光」の異名を連ね、ほとんど唐突に「しかれば如来の真説、宗師の釈義、明かに知んぬ(p.184)」として「安楽仏国に到れば、即ち必ず仏性を顕はす。本願力の回向に由るが故に(同)」と結論づける。これは前半の議論の蒸し返しであるが、おそらくこちらの方が先に執筆されたのであろう。そして最後に、「また仏土について真あり仮あり。選択本願の正因に由りて、真仏土を成就せり(p.185)」として真仏土が光の世界であると同時に虚空の世界であると述べている。そして「仮の仏土とは…」として「方便化身・化土」があると述べて真仏土巻を終えている。
(6)化身土巻
化身土巻は2つの部分に分かれている。親鸞の真筆ではどちらも同じ標題「顕浄土方便化身土門類 六」を持ち、のちに2番目の方に「六末」と記入されたために便宜的に「本」と「末」と区別しているが、ここでは見出しでは分けないこととする。
「本」では、『教行信証』の中でも最も親鸞らしい議論が展開される。それは、すでに述べたように阿弥陀四十八願にも権実(仮と真、方便と真実)の枠組みを適用して腑分けしていくというものである。その入り口はまず「懈慢界(けまんかい)」である。浄土にまでは到らない行者がいく仮の浄土「化身土」が「懈慢界」だ。これはもちろん親鸞の発案ではなく、中国浄土教から見られる。ここは一見すると浄土のようなきらびやかな世界なのであるが、真理というものが欠けている場所なのである。
ではどのようなものが浄土行きに不十分なのであろうか。それは浄土を願いながらも「疑惑して信ぜず。しかもなほ罪福を信じて、善本を修習して、その国に生まれむと願ぜむ。このもろもろの衆生、かの宮殿に生れ(p.191)」るのである。つまり阿弥陀仏の力を信じず、自力の修行を行って浄土を願うものがいくのが懈慢界である。ここは「七宝の牢獄(同)」とされる。宝が満ち溢れている場所で、そこで苦しむというものではないのだが、ただしそこでさとりを得るということがない。私の様な凡夫にとってみれば懈慢界の宮殿で十分であり、無為の世界である真仏土などはよくわからないのであまり行きたいと思わない。そしてこれは親鸞在世当時の人々にとっても似たようなものだったと思う。親鸞は先に「楽のための故に生まれむと願ずるは、またまさに往生を得ざるべきなり(p.152)」と釘を刺しているが、これは一般的には安楽を求めて往生を願う人が多かったことを示している。真の世界に行きたいというのはいわば宗教的天才のみではないだろうか。
そもそも懈慢界=化身土がなぜ構想されたのか。こういう誘惑的な方便の浄土を構想せずに、最初から無為虚空の浄土だけを設定する方が教えとしてはずっとわかりやすい。しかし化身土は必要なのである。なぜなら、『観無量寿経』では浄土の有様を観想念仏することを勧めているが、この経典に述べられる浄土の有様が財宝が溢れた場所なのである。真仏土は無為虚空のものであるのに、どうして財宝が溢れた場所を人々に説くのか、ということになる。この矛盾を解消するには権実によるしかない。親鸞は、『観無量寿経』で説かれた浄土の様子は方便であった、と整理するのである。冒頭に述べたとおり、親鸞は「末法では念仏こそ真実の教えだ」と考えたが、親鸞の思想の行き着くところ、念仏の教えも全てが真実とは見なせなくなったのである。実は浄土三部経と呼ばれる『阿弥陀経』『大無量寿経』『観無量寿経』の記述のかなりの部分が、親鸞の思想とは整合しない。親鸞はこれらの経典を権実の枠組みで整理する必要を感じたに違いない。
そこで「ここを以て三経の真実は選択本願を宗とするなり。また三経の方便は、即ちこれもろもろの善根を修するを要とするなり(p.200)」ということになる。つまり、三経(三部経)の本体(真実)は「選択本願(第18願)」を中心としたものであって、それ以外は善根を勧めるための方便だ、というのである。これはかなり過激な主張ではないだろうか。さらに親鸞は、具体的にどこが方便なのかということを考察していく。その中心は「心」である。これもくり返しになるが、「行よりも信、心の在り方が大事」というのが親鸞までの思想家たちの到達点であったが、これが方便なのか真実なのか、それが問題になる。
ところで「心の在り方が大事」といえば、莫大な作善などと違い誰でも実践可能のように思うが、我々凡夫が心の在り方を自ら律していけるのかどうか、極めて頼りない。というか、心を十分に律していけるなら聖道門(修行によってさとりを得ようとするやり方)が実践可能である。末法の世では聖道門の実践は不可能だから浄土門(念仏)に頼る他ない、という理屈だったはずが、念仏には「心の在り方が大事」でこれが実践可能だとすれば聖道門も可能ということになり矛盾する。
さらに詳細は割愛するが、『大無量寿経』と『観無量寿経』では三心、『阿弥陀経』では一心とありどちらが真実なのかという問題提起がされ、種々考察がなされた後にこれらが同じ意味であることが解明される…のだが、私にはその理屈がよくわからない。ともかく心の議論を一通り行った後、「いま三経を按ずるに、みな以て金剛の真心を最要とせり。真心は即ちこれ大信心なり(p.204)」と述べ、経典に述べられる「心」は「金剛の真心」即ち阿弥陀如来から回向されて与えられた「大信心」であるから、人間の意志力によるものではないと結論付けられる。
そしてこのあたりは大変難解というか、議論が見えてこないところがある。様々な経典の内容を細かく方便に分類していくのだが、方便と真実が入り乱れてわけがわからない。ちなみに親鸞が方便・真実の弁別で重視したのは阿弥陀四十八願のうち以下の3つである。
第18願(念仏往生の願)
たとひわれ仏を得たらむに、十方の衆生、至心に信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん、もし生ぜずは、正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とをば除く。
第19願(至心発願の願)
たとひわれ仏を得たらむに、十方の衆生、菩提心を発し、もろもろの功徳を修して、至心発願してわが国に生ぜんと欲せん。寿終るときに臨んで、たとひ大衆と囲繞してその人の前に現ぜずは、正覚を取らじ。
第20願(至心廻向の願(植諸徳本の願))
たとひわれ仏を得たらむに、十方の衆生、わが名号を聞きて、念をわが国に係けて、もろもろの徳本を植ゑて、心を至し回向して、わが国に生れむと欲わむ、果遂せずば正覚を取らじ。
このうちまず第20願について考察し、これが方便であるとする。名号を聞けば往生するのだから真実ではないかと思うが、親鸞は「信」の問題を取り上げて議論している。そして第19願についても「もろもろの功徳を修して」というところが問題なのだと思うが(例によってよくわからない)、そもそも自力の功徳があると思っている時点で思い上がりだ、というような態度が親鸞にはあり、これも方便とされている。結局、古来浄土教思想家が重視した上記3つの誓願のうち、真実は第18願のみであり残りは方便ということになる。全部で48ある誓願全てについては考察されていないが、親鸞の言い方は「第18願のみが真実」という雰囲気が濃厚だ。
では第19願や第20願を信じて善根を積んだ者はどうなるのか。これが「懈慢界」に行くわけなのである。彼らは「疑惑して信ぜず」だったわけではないのに浄土へ行けないのはおかしいと思えるが、親鸞の立場からはたとえ念仏(名号)を熱心に称えていても「おほよそ大小聖人、一切善人、本願の嘉号(名号)を以ておのれが善根とするが故に信を生ずることあたはず(p.214)」なのである。 念仏を善根と思っているようなやつには本当の「信」が生まれない、という。
阿闍世王の物語の部分で、私は「親鸞はここで全ての人を包摂しようと格闘している」と書いたが、このあたりでは逆に、往生できる人について厳しく弁別しようとする雰囲気がある。そもそも「化身土巻」は、浄土三部経という根本経典にすらメスを入れて真仮を弁別しようという巻であるが、救われる人についても「少しでも自力があればダメ」と切って捨てているようなところがある。しかし私にはなぜ親鸞がそのような峻厳な態度を取らざるを得なかったのか、本文の記述ではいまいちわからなかった。
そして親鸞は次に聖道門がこの末法の世では有効ではないということを熱弁する。法然においては末法の認識はそれほどでもなく、聖道門も滅尽するのは末法一万年の後だ、としていた。つまり法然の時点では聖道門も有効だったのである。ところが親鸞は「聖道の諸経は(中略)すでに時を失し、機に乖けるなり(p.215)」という。これが親鸞独自の認識なのか、親鸞の頃には社会的にこういう認識になっていたのかはわからない。ちなみに親鸞は「すでに以て末法に入りて六百八十三歳なり(p.217)」といっている。なおこのあたりの議論は極めて平明であり、思弁的ではない。
そして親鸞は「末法には、ただ名字の比丘のみあらむ。この名字を世の真宝とせむ(p.220)」という。「末法にはただ名ばかりの僧侶しかいないのだから、この名ばかりの僧侶を宝としよう」というのである。そして末法の世では、破戒とか無戒というのも意味はないのだから、「破戒・無戒ことごとくこれ真宝なり(p.221)」という。何か開き直りという感じがしないでもない。よく知られる通り親鸞は「非僧非俗」を標榜し(これは権力者から僧としての立場を剥奪されたために言ったことで、自らの意思で非僧になったのではないが)、堂々と妻帯した。末法であるためにそもそも戒は無意味になる、というのがその思想的根拠だったかのようにこの部分は読める。
ちなみにこの末法の考察によって「本」は終わっているが、ここはあたかも全体が終わったかのような雰囲気がある。
「末」では、「天神に帰依せざれ(p.226)」という議論が全体を通じてなされる。 この部分は私はそれほど興味を持っていないので率直にいうと斜め読みした。
いうまでもなく、仏典にも様々な鬼神が登場する。あるいは仏法を護持し、あるいは仏法を誹ったり修行者を邪魔したりする。そんな中で悪鬼神を崇拝するなというのは当たり前のことだが、では仏法を護持する存在をどう捉えるか。親鸞は大方等大集経巻六月蔵分「諸天王護持品」を引用し、大梵天王をはじめ様々な存在が世界を護持していたことを述べる。となればこうした神々を崇拝してもよさそうなものだが、そうした世界は「漸次に劫尽き、もろもろの天人尽き(p.236)」ていった。そして悪世の世になっていき、ついに釈迦が生まれて仏教の教えを説いた。大梵天王らはその教えに靡き、仏教に従うようになったのだという。つまり、今の世ではわざわざ世界を護持する神々を崇めなくても、神々が仏法に従っているのだから仏法さえ尊べばよいではないか、というロジックである。
しかも世は末法である。首楞厳経では「わが滅度ののち末法の中に、この魔民おほからむ、この鬼神おほからむ、この妖邪おほからむ(p.244)」といい、人々を惑わす鬼神が多いとしている。だからこそ多くの経典では「邪神・外道に帰依せざれ(p.245)」(地蔵十輪経の引用)など、鬼神を祀らないように誡めている。明解に言っているわけではないが親鸞は「鬼神に帰依しても救われることはない」といいたいようである。
ところで、親鸞当時の神祇と仏法の関係は本地垂迹説によって連結されていた。にもかかわらず、本巻には本地垂迹説が全く登場していない。例えば、人々は八幡神を阿弥陀仏だと見なして祈りを捧げていた。こういう場合はどうなのか。親鸞は意図的に本地垂迹説を無視していると私は思う。それは、基本的に「文類」すなわち引用が中心の本書のスタイルにおいて、十分にテキストが揃わなかったという事情もありそうだが、私の実感としては「本地垂迹説に深入りしたくなかったのでは」という気がする。本地垂迹説は仏典とは全く違う体系の理論であり、その融通無碍さによって親鸞の思想は容易に熔解してしまう気がする。そもそも、本地垂迹説は権実の枠組みを基盤としている。仏の世界を真実としつつも、真実は凡夫には理解しがたいので(和光同塵=その光を和らげて)、神として垂迹して人々を救う、というのが本地垂迹説の基本的構造である。こうして現れた神としての仏を「権現(ごんげん)」といい、それは「権(仮)に現れた」という「方便」の姿である。このロジックは、念仏の教えすらも方便と見なす親鸞の理論とバッティングする。二重三重に「方便」を重ねることになり、一応思弁的に理論を構築はできても屁理屈的になるような気がする。こうしたことから親鸞は本地垂迹説を意図的に無視したのだと思う。
続いて親鸞は老子と孔子を取り上げる。意外なことに親鸞は仏教の方が遥かに優れている、とは言い切らないのだが、儒仏を対比する数々の言説を引用し、徐々に仏教の優位性を仄めかしている。そして最後に論語を引用し、孔子の言「人いづくんぞよく鬼神に事へむや(p.257)」で論考を閉じている。
最後に、標題はないが後書きの部分がある。「聖道の諸教は行証ひさしく廃れ、浄土の真宗は証道いま盛りなり(p.257)」から始まり、ここからは法然一門が興福寺(とそれに応じた院権力)から弾圧されたことの怒りがほとばしっている。『教行信証』の中で親鸞の個人的な体験が激情をもって書かれているのはここだけである。最後から2つの引用を紹介しておこう。最後から2番目が道綽『安楽集』から「(前略)前に生まれむ者は後を導き、後に生まれむ者は前を訪(とぶら)へ(後略)(p.259)」という有名な一文。そして最後が華厳経「もし菩薩、種種の行を修行するを見て、善・不善の心を起こすことありとも、菩薩みな摂取せむ(同)」。道綽『安楽集』は理解できるが、なぜ最後が華厳経の偈なのか。これはしっくりこなかった。しかもここでは「種種の行を修行する」とか「善・不善の心を起こすことありとも」といった、親鸞が超克してきたものが述べられている。主語が「菩薩」なのもよく分からない。これまでさんざん凡夫と如来の関係について述べてきて、なぜ「菩薩」の修行について述べるのか。そして種々の行は捨てて本願のみに帰依し、如来の回向による信にまかせよ、というのが『教行信証』の要諦ではなかったのか。
敢えて解釈すれば、この菩薩は法蔵菩薩(阿弥陀如来がまださとりを得る前の名前)なのではないか。もちろん華厳経の原文では法蔵菩薩について述べているわけではないだろうが、親鸞がここに法蔵菩薩を重ねたとしたらどうか。阿弥陀の四十八願はこの法蔵菩薩の時の誓いであるから、この偈は「法蔵菩薩が、真実と方便が入り交じった一見不審にも思える誓願を立てるという修行をしているのを見て、世間の人はよくわからないと思う心を起こすかもしれないが、法蔵菩薩=阿弥陀仏はそれもみな認め包摂してくれるのである」ということを含意しているのかもしれない。だとしたら私も包摂された一人である。
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私は『教行信証』を読んで、親鸞の思想について語る本が汗牛充棟をなす理由がわかった。法然の思想について語る本はほとんどいないのに、人は親鸞については熱く語る。第1の理由は、親鸞の思弁的思考は解明しがいがある、ということだ。源信や法然の思想は、分かりやすいが、まさにそのために考究するしがいがないのかもしれない。一方、親鸞の思想ははっきり言ってわからない。わからないから考究したくなる。第2の理由は、親鸞自身、その思想が揺れ動いているということである。『教行信証』は、場所によってかなり雰囲気が違う。そして親鸞の言っていることも微妙に違う。一貫した著作というよりは、論文集的といってもいい。そこから親鸞の思想を抽出する作業はそれだけで面白そうだ。
しかしながら、真宗教義について専門的に学ぶ必要がない私にとって、親鸞の思想に付き合うことはかなり面倒なことでもあった。『教行信証』は、私の読んできた本の中でも五指に入る読みづらい本だ。冒頭に5%しかわからなかったと書いたのは誇張ではない。今少し読み直してみると、特に最初に読んだ部分については2回目の読書でかなり違った理解が得られるような気がするが、正直なところもう読み直す気は起こらない。このメモにもずいぶん見当外れなことが書いていると思うがご寛恕願いたい。
ところで、「5%しかわからなかった」身としては僭越だが、親鸞の思想には矛盾があると思った。縷々述べた通り、親鸞は「自力があっては真の浄土へはいけない」と強調する。『教行信証』は教え諭すような著作ではないから、「だから自力を捨てよ」という言説は意外に見られないが、「自力から離れて他力へまかせよ」という論旨であることは明らかだ。しかし人はどうやって他力へ移行できるのだろう。これが「自力の限界をさとって、主体的に他力を選ぶ」ということなら、「自力(自らの意志力)によって他力へ移行する」ということに他ならない。他力に向かうためには自力が必要だということになると矛盾している。そもそもそれができるなら聖道門が実践可能ということになってしまう。
『歎異抄』で親鸞は、悪人は他力を頼むほかないから往生できる、「自力の善人」は善行を積むという自力から離れがたいから往生から遠い、という主張をしているが、「自力の善人」がどうやって自力から離れられるかという議論はやはりない。「衆生の根性に決定(けつじょう)あることなし(p.170)」という前提から考えると、我々凡夫は他力にしろ自力にしろ自ら主体的に選べるようなものではないと考えるのが自然だ。とすると、「自力の善人」にとって救われる道はないのではないか。といっても、懈慢界も方便とはいえ浄土には違いなく、阿弥陀仏が救わないというのではない。しかし経典には阿弥陀仏は(五逆・謗法は除き)全ての人を救うとあるのに、親鸞はそこに自力・他力の区別を持ち込んで真の救済を限定的なものにしているのは間違いない。親鸞は阿弥陀仏の広大な慈悲・回向の力を強調しながら、その力に与れるのは一部の人だけだという結論に達している。阿弥陀仏の力を信じ切れていなかったのは親鸞その人なのではないか。
その点、阿弥陀仏は帰依する人々を「信・不信をえらばず」全て救う、と考えた一遍の方がよほど論理的に一貫している。『教行信証』は形而上学的な思弁の果てに、自力と他力、方便と真実のどんづまりへと行き着いているようにも見える。
もっとも『教行信証』は親鸞の到達点ではなくむしろ出発点的な著作である。晩年、親鸞は多くの和讃をつくり、人々を教え導き、その中で思想が円熟して「自然法爾(ほうに)」という境地へ辿り着いた。私はまだ「自然法爾」がいまいちわからないが、上述の矛盾点が解消されている可能性は高い。
ただ、こうした疑問があるにしても、今は『教行信証』を読めてよかった、というのがありのままの感想である。日本の思想史における高峰の一つであることは間違いない。
形而上学的に往生を理論化した浄土教思想の高峰。
【関連書籍の読書メモ】
『往生要集(上下)』源信 著、石田 瑞麿 訳注
https://shomotsushuyu.blogspot.com/2024/10/blog-post_11.html
往生のための理論書。念仏理論の始まりとなった歴史的名著。
『選択本願念仏集』法然 著・大橋 俊雄 校注
https://www.shokeishuyu.com/2025/02/blog-post_24.html
法然の主著。専修念仏教団を生み出した、念仏至上主義の書。
『改訂 歴史のなかに見る親鸞』平 雅行 著
https://www.shokeishuyu.com/2024/01/blog-post.html
厳密な史料批判に基づいた親鸞の生涯。歴史学における親鸞研究の到達点。
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