2026年10月3日土曜日

『ピアニストは「ファンサ」の原点か―スターとファンの誕生史』かげはら史帆 著

リストファンについて考察する本。

本書は、リストに熱狂する女性ファンの様子を描いた1842年の風刺画を読み解くことで、ファンとは何かを追求していく本である。著者自身の言い方では、「この一枚の風刺画から見える歴史上の”ファン”と”スター”の事例に迫り、その時代や社会や人々の分析を通して、現代のクラシック音楽文化やファン文化を再照射しようと試みる本(p.7)」である。

そもそも、ファンとスターは近代社会の産物である。大勢の人気に支えられた商売というものは、情報が広く流通せず、人がそれほど移動できない社会では成立しようがない。前近代の音楽については王侯貴族と教会の存在感が大きいが、近代において「公衆」なる存在が出現したことで音楽の構図は変わった。「公衆」は、同じ本や新聞を読み、同じ時間と情報を共有する。彼らの存在によって「ごく一部の人物が異常なほどの著名性を得るという現象が起き(p.29)」た。

重要なことは、この「著名性」である。別にファンというわけでなくても、みんな著名人に興味があり、その人物についてああだこうだ言いたい。つまり公衆は著名人を「消費」したくてたまらない。ベートーヴェンが1827年にウィーンで亡くなった時、2万人もの人が葬儀に詰めかけたというが、参列者にはベートーヴェンの音楽など聴いたこともないはずの階層の人までがいた。彼らは多分「あのベートーヴェンの葬儀に行った」という事実を欲しがったのだ。そういう裾野があるからファンというものが成立するのである。

そういう時代背景の下に、圧倒的なスターとなったのがフランツ・リストである。彼は1811年生まれで、わずか9歳でピアニストとしてデビュー。カール・チェルニーとアントニオ・サリエリに学び、1830年代のパリで人気が爆発。1839~47年には計1000回にも及ぶヨーロッパツアーを行って演奏活動から引退し、翌1848年にはヴァイマールの宮廷楽長となって以後作曲やピアノ指導、宗教活動を行った。

実は「1790年代のウィーンでは、若手のピアニストたちが演奏バトルをするカルチャー(p.60)」があった。リストの人気が爆発する60年ほど前である。要するに聴衆はピアノ演奏を聴いて感動するのではなく、盛り上がっていた。だからこそバトルが成立した。現代のコンクールでも勝ち負けは決まるが、ここではどっちが盛り上がったかということが勝敗を決めたのではないかと思われる(もちろんそのためには派手な曲や演奏が求められたであろう)。

チェルニーによれば、なんとベートーヴェンでさえ「泣かせる」芸を心得ていたという(p.60)。ベートーヴェンにはそういうバトルの好敵手(「命がけの敵」)がいた。ヨハン・バプティスト・クラーマー、ヨーゼフ・ヴェルフル、ダニエル・シュタイベルトといった人たちである。彼らは聴衆を「泣かせる」「しびれさせる」という「カッコいい」パフォーマンスを追求した。これに対するベートーヴェンは圧倒的な即興演奏技術を持っていたとはいえ、彼らに完全勝利したのではなく、20代の終わりからは聴覚障害により作曲に専念するようになった。

そしてこのライバルたちの系譜が、次世代のヨハン・ネポムク・フンメル、フェルディナント・リース、ジョン・フィールド、イグナーツ・モシェレスなどに受け継がれ、1800~20年代に活躍した。ここで重要なのは、この世代の人々は「ダンディ」という価値観を重要視したということだ。この「ダンディ」は今の意味とは違い、伝統に縛られず今この瞬間に輝くことを重視する男性の在り方を示す語(著者の説明を要約)である。つまり脱古典主義的なのがカッコいい、という価値観があった。そしてこの時代のダンディズムは、マッチョイズムとは対極にあった。当時はロマン主義の真っただ中である。ロマン主義では、神秘的なものや女性的なものが愛好され、男性の肉体はむしろ嫌悪される傾向にあった。

こういう時代の趨勢の中、リストが登場する。彼は背が高くて痩せており美貌の持ち主だった。ちなみに彼のライバルとされることもあるショパンは、背が低くて女性的で病的な雰囲気さえあった。彼は衣服やインテリアにお金を使い、高価な絹のネクタイを巻いて部屋をエレガントな調度品と花々で美しく飾っていたという。ショパンがそういう趣味だった、というだけでなく、そういう美意識が支持される時代だった、ということである。

リストが手本にしたのは「ヴァイオリンの悪魔」と呼ばれたニコロ・パガニーニであるが、パガニーニは神秘的な雰囲気、悪魔と契約したと言われてもおかしくない風貌を自己プロデュースしていた。しかしリストはそういう表面的な真似ではなく、古今東西の書物を手当たり次第に読んで、ベートーヴェンやバッハの作品を研究し、その上で派手な奏法をマスターして頭角を現した。彼は自ら本格派になろうとしていたのである。リストの時代も、ジギスモント・タールベルク、シャルル=ヴァランタン・アルカン、アレクサンダー・ドライショックといったピアニストがリストに勝るとも劣らない派手な演奏技巧を競っており、リストはピアノがうまい人はごまんといることを知っていたからこそ基礎が大事だと思ったのかもしれない。

しかしリストは自己プロデュースでも一流以上だった。「演奏中にこの長く美しい髪がファサッ……と鼻のあたりにかかるのを、首で軽く振って払ったり、かきあげたりする仕草は、この上なく魅惑的であった(p.74)」という。女性がキャーキャー言ったのも当然である。彼は孤高のピアニストではなくエンターテイナーであった。

その人気を基盤にして、リストは「リサイタル」(2時間程度の独演会)を初めて行った。この頃の音楽のコンサートというのは、入れ代わり立ち代わりいろいろな演奏家・オーケストラが登場する演芸大会のようなものであったが、リストはピアノのみの独演会を行った。これは「常軌を逸した、傲慢で王様気取りな思想(p.81)」でさえあった。ちなみにこの頃のコンサートはお客が席に座って静粛に音楽を耳に澄ます……のではなく、お客同士で話したり(社交の場)、キャーキャー言ったりする、今でいうライブのような場であった。リストのリサイタルも「ディナーショーやファンミーティングのような「交流」の要素も強かった(p.83)」ようである。

リストは私生活でも話題を提供した。20歳手前でアデル・ドゥ・ラプリュナレド伯爵夫人と、その後は6歳年上のマリー・ダグー伯爵夫人と不倫関係になり、ダグー伯爵夫人とは駆け落ちして子供も設けている。ロマン主義全盛のこの頃はこういう道ならぬ恋が持ち上げられており、かごの中の小鳥のごとき高貴な夫人が自らの意思で若く才能のある若者と結ばれることが「社会への反抗や反骨(p.85)」を象徴していた。

さらにリストは、チャリティーも行っている。祖国(とリストが自己規定した)ハンガリーの災害のためにチャリティー演奏会を行ったのである。彼はノブレス・オブリージュを果たす人としても公衆から認められた。要するに、リストはこの時代がピアニストに求めているもの全てを自覚的・無自覚的に体現したのである。

本書でこういう例えがされているわけではないが、この時代背景はどことなくビートルズ登場前後のロックミュージックシーンに似ている。旧来の道徳や社会規範が力を失い、テレビという新しいメディアの登場によって大規模な大衆が生まれ、そして大衆向きの新しい音楽が求められていた……というのが19世紀初頭の状況とリンクする。仮にベートーヴェンをビートルズに宛てるとすれば、リストはジミ・ヘンドリクスということになろうか。

ともかく、リストは時代の寵児となり、時代そのものを変えた。例えば、リストは女性からオペラグラスで凝視された。女性が憧れの男性を堂々と凝視するなどということはそれまでなかったらしい(オペラグラスは、観劇のためでなく客席を見るために使われていた)。女性が「男性アイドル」を主体的に消費するようになった姿が、リストファンには看取される。女性たちはリストに入れあげて、時には失神さえした。当時の医師はそういう「リストマニア(p.106)」を狂気と見なして、治療が必要な真正の「病気」であると大真面目に考えていた。リストの演奏から電流が発生してそれが観客を感電させてしまう、などという珍説を見ると、病気がどっちだったのかわからない。

今ではコンサート中の失神は酸欠と関連させられることが多く(「病気」の一種かもしれない)、当時の女性もコルセットできつく胴を締め付けていたことが失神の要因だったのかもしれないが、彼女らは「失神したかった(p.116)」精神状態にもあった。つまりロマン主義に彩られた新たな自由の時代が到来したことを感じているのに、実際には女性は家を守るという価値観は強固で、家父長制の下で抑圧されていたのである。ちなみにこの時代にも女性音楽家はいる。有名なのはメンデルスゾーンの姉ファニー・メンデルスゾーン、シューマンの妻クララ・シューマンだ。彼女らは抜群の才能を持ちながらも音楽家としての活動を身内から快く思われていなかった。それでも二人が女性音楽家第一世代として多少の足跡を残せたことは、この時代の雰囲気を伝えている。

要するに、この時代の女性は自らが主役にはなれないという状況の中にあった。そんな中でリストの熱狂的なファンをやることは、女性ができる主体的な数少ない活動の一つでもあった。彼女たちは——想像をたくましくすれば——リストを全身全霊で「推す」ことで、自分の人生を生きたのである。現代の抑圧された女性と同じように。

ちなみに、「サロン」も当時の女性に許された数少ない活動であった。「ヴェロニカ・ベーチは、サロンを、「男性社会の秩序に阻まれて女性には許されなかったものを、みずからの知的欲求と知性によって自己実現できる自由な場」と定義づけて(p.131)」いる。リストもダグー伯爵夫人のサロン出身ともいえる。リストは、女性の自己実現を託されて世に出たのかもしれない。

そういう女性ファンは、時として眉を顰められる問題行動を起こした。例えばリストの飲み物の残りを奪い合ったりキスを迫ったり、自宅に押し掛けたり、卑猥な言葉を使ったりということが当時批判されている。ファンの一部は、リストを性的に消費していたのである。実際に彼女らがそうした行動をしていた直接の証拠はないものの、リストは自分自身を「あやつり人形(p.145)」だと言っているから、いくばくかは主体性が侵害されるようなことが実際にあったのであろう。

これまで、女性ファンに着目して論説が進んできたが、この時代の男性は良心的だったかというともちろんそういうことはない。例えばバレリーナに入れあげる男性は多かった。そもそもバレエの鑑賞には性的な視点がつきまとう。リストに入れあげる女性よりももっとあけすけに男性はバレリーナを性的に消費し、興行主の方もそれを煽っていた。そしてうまくバレリーナとの逢瀬に持ち込めなかったムラムラした男性が劇場のまわりをうろついていたため、劇場周辺には大勢の娼婦が立つことになった。またバレエ人気は、人工的に作られたバレリーナのライバル関係がメディアによって煽られることでも高まった。○○推しと△△推しがどっちが優勢か、みたいなものである。リストの場合も、タールベルクとのライバル・対立関係が、リスト自身が火に油を注ぐタールベルク批判記事を書いていやがうえにも盛り上がった(ダグー伯爵夫人がゴーストライトした可能性が高い)。今でいう炎上商法みたいなものである。

ところで、著者が言っているわけではないが、男性ファンには欲望があることが当然とされる一方、女性が男性アイドルに熱中するのには何か社会的な要因があるはずだ、という分析にはジェンダー的な偏りがあるように思われる。バレリーナに熱中する男性ファンだって自らの心の空虚さを埋めるという秘めた目的があったかもしれず、そういう分析がなされることもないわけではないが、それがなくても欲望は前提とされる。であれば、女性たちがリストに入れあげたのも、単に女性にも男性同様欲望があったということにすぎないかもしれないのだ。著者の分析は的を得ていると思うが、こういう視点も頭の隅に置いておきたい。

このようにリストとファンの関係を様々に考察した後、著者は改めてリストに熱狂する女性ファンの様子を描いた1842年の風刺画を取り上げる。そしてそれが、リストではなくファンを風刺したものであることを強調し、そうした風刺がなされたのは「女性が、音楽芸術の聴衆として当時の社会から正当に評価されていなかったから(p.184)」だという。女性は「芸術の受容者として軽んじられていた(p.185)」。当時は音楽批評雑誌が次々と創刊され、(いうまでもなく!)男性の批評家が力を持ち始めていた。

リストマニアの女性たちの態度は「いわゆる音楽芸術の鑑賞らしいものでは(p.192)」なかったが、かといって気軽な消費行動とも違い、むしろかなり「重い」ものであった。それは「これまでの狭義の音楽史や音楽批評の世界が見落としてきた、あるいは文字通りに”軽”んじてきたもの(p.193)」だという。そして「従来のファン/ファンダム研究において、芸術分野の愛好家は研究対象から除外されてきた(p.194)」が、著者がリストマニアをあえて「ファン」と呼ぶのは、「19世紀において、リスト・ファンが芸術のメインストリームから除外された存在だったから(p.194)」だという。つまり、リスト・ファンの女性たちも「音楽芸術の受容者(p.196)」の一つの姿であったと認め、より広い視野から「ファン」として捉えなおしてはどうかと著者は提案するのである。

しかしこの部分は私はちょっと引っ掛かった。というのは、著者の論述には「芸術」という枠組みが自明なものとして設定されているが、これは曖昧な概念だ。例えば、19世紀のバレエは芸術なのに、現代のアイドルグループの一糸乱れぬダンスを芸術と見なさない理由は何なのだろう。私はアイドルのダンスだって芸術だと思う。ビートルズやジミヘンは芸術とは言えないのか。逆にマルセル・デュシャンの『泉』(男性用小便器を芸術に見立てた作品)は芸術なのか。芸術と芸術ならざるものの境界は何なのか。結局、芸術については「人々が芸術だと思っているものが芸術」というトートロジー的な定義しかできないのではないか。少なくとも、現在の「芸術」という概念を当時の文化を分析する際に無自覚的に適用すると、かえって見えなくなるものがある気がする。

そもそも、当時の人々はリストやタールベルクのピアノ演奏を「芸術」と思っていたのか。リスト自身、「スター・ピアニストを続けている限り、芸術家として真っ当な評価を受ける日は来ない(p.188)」と思ってヴァイマールの宮廷楽長に転身したのである。当時のビアにストは、現代でいうロックミュージシャンにずっと近く、彼らの音楽は高尚な趣味ではなくて大衆的な喝采の対象であった。だからこそリストはスターになりえたし、そこから抜け出ようともした。にもかかわらず、著者はリストファンを「音楽芸術の鑑賞者」「芸術文化の愛好家」「音楽芸術の受容者」であったと再評価しようとする。

そもそも、著者がリスト愛好家を「ファン」と呼ぶのは、クラシック音楽における「演奏家」と「聴衆」という関係を相対化し、「スター」と「ファン」まで包摂するものとして「クラシック音楽」をより広い視野で理解しようという試みであったと思う。しかし議論の果てに、「ファン」も「音楽芸術の受容者」と規定したことで、かえって既存の「芸術」の権威を追認しているように見える。「彼女たちの営為を「芸術」への参与と認めてあげたい」というのは一見女性を評価しているようだが、著者がやんわりと批判する19世紀の音楽批評家と同じく、一方的に文化の価値に優劣を付けているのではないか。そして「クラシック音楽」を高尚なものと見なす既成概念に回帰しているだけなのではないか。

むしろ本書の論旨は、当時の音楽シーンは「芸術」よりも「大衆演芸(エンタメ)」の文脈で理解する方がよい、というもののような気がして仕方ない。そしてリストに熱中した女性たちは、コンサートホールの「聴衆」であるよりは、現代の「推し活」の女性たちと似ていたのである。彼女たちを「芸術の受容者」であると規定することは、むしろ彼女たちの性格を見失うことになる。例えば現代のM!LK(男性アイドルグループ)推しの女性たちを「芸術の受容者」であったと考えたら、彼女たちを歪めて理解することになるような気がする。少なくともそれで彼女たちを「正当に評価」したということにはならないだろう。

もし「芸術」の文脈でリストとファンの在り方を考えるならば、むしろ「現在”芸術”として受容されているものであっても、当時の演奏家と観客を”芸術とその鑑賞”という権威主義的な枠組みで見てしまうと、その実相を理解しづらくなる」ということなのではないだろうか。リストとファンの間にあった音楽を、我々が今、「芸術」と呼んでいるだけなのだ。そしてリストとファンの関係を理解するためには、それが「クラシック音楽」であったという前提を疑ってみる必要があるように思われる。

19世紀の音楽文化を受容側から考える良書。

【関連書籍の読書メモ】
『19世紀のピアニストたち』千蔵 八郎 著
https://www.shokeishuyu.com/2021/01/19.html
19世紀前半のピアニストたちの多様な生き様。

『クララ・シューマン』萩谷 由喜子 著
https://www.shokeishuyu.com/2021/04/blog-post.html
クララ・シューマンの伝記。

『もう一人のメンデルスゾーン——ファニー・メンデルスゾーン=ヘンゼルの生涯』山下 剛 著
https://www.shokeishuyu.com/2024/05/blog-post.html
メンデルスゾーンの姉の生涯を述べる本。非凡な才能を持ちながら、時代の制約からついに活躍できなかった女性を描く力作。

★Amazonページ
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